フォト

他のアカウント

モーションウィジェット

  • モーションウィジット
無料ブログはココログ

雑感

2016年8月31日 (水)

賢い生き方のために。

世界を見渡せば,冷戦時代のように世界をけん引する
政治や思想も力を失い,冷戦時に抑圧されていた様々な
価値観が,ここぞとばかりに噴出し様々な問題を生んでいます。
そんな混乱の根本には,自分と異なる考え方を排除しようとする
人間心理の本質的な傾向があるように思います。
第二次大戦後,冷戦時の核戦争に対する恐怖について問われた
心理学者のユングは
「それは,他者が自分と対立する意見を抱くという緊張に
どれくらい耐えられるかにかかっている」
と答えました。
世界の在り方という遠い現実でなくとも,
自分と異なる考え方,意見があることを認め,
それを基に自分の生き方も振り返ることは大切なことではないでしょうか。
それが賢く生きることだと思います。
そして,賢く生きるには就学時の「勉強」が大事だと思うのです。
意識さえすれば,いろいろな分野の思想・考え方を学べ,
ほぼ生活のすべてを,それらを吸収するために使える
貴重な時間が与えられているのです。
そう考えれば「なぜ,こんな将来に役に立たないことをやるのだろう」
などという後ろ向きな言葉など一蹴されるでしょう。
勉強の目的は,将来使うか使わないかという,実利だけではなく,
賢く生きるための原資になるのです。

2013年9月30日 (月)

わたくしという現象は・・・

「わたくしといふ現象は

 仮定された有機交流電燈の

 ひとつの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

 風景やみんなといっしょに

 せはしくせはしく明滅しながら

 いかにもたしかにともりつづける

 因果交流電燈の

 ひとつの青い照明です

  (ひかりはたもち その電燈は失われ)」

 宮沢賢治「春と修羅」の「序」の一節です。
宮沢賢治の生きていた時代(明治~昭和初期)に神経伝達の仕組みが
どの程度一般に知られていたのかわかりませんが,
無数のニューロン(神経細胞)の中をナトリウムイオンやカリウムイオン,
塩素イオン等の荷電粒子がどーっと流れ,
もしそれを発光ダイオードを無数に配置することで表現できたら,
賢治のいう因果交流電燈の青い照明の明滅を
見ることができるかもしれません。
とても優れた比喩のように思います。

人間の活動と言っても,脳による認識を第一に考えるならば,
結局,ニューロンの中の電気信号の移動に過ぎず,
行為そのものは外部にあるいは記憶に残っても,
その因たる電気信号は一瞬に消えていくのです。
(ひかりはたもち その電燈は失われ)

 話は変わりますが,長年,子供たちの学習の手助けをする仕事をしていると,
個々の生まれ持った能力の差(能力の多様性と言った方がいいかもしれません)
は厳然とあることを感じます。
東大や京大のようないわゆるエリート大学へ進学した子供たちにも
接したことがありますが,学力というかいわゆる頭の良さは
天性のものを感じました。
一生懸命努力をしなくても
(本人は死ぬほど努力したと言うかもしれませんんが)
大学入試という壁をいとも軽々と飛び越える。
勉強ができない子供との差を目の当たりにし,
愕然とすることもしばしばでした。

 

 ところで,天性の能力は遺伝で決まる訳ですが,
この天からのギフトが人間の全てでないことも確かです。
先の脳の仕組みに関連しますが,
この器官は可塑性が非常に高いのだそうです。
可塑性の意味は原義とは少し違うかもしれませんが
「変わることのできる潜在的な能力」と言うことができる
と思います。
遺伝的な能力に差があっても,訓練や努力によって
差を縮めることができるのです。
そして,高校や大学の入試レベルの勉強なら,
誰でも十分な時間と努力で突破できる。
天性の能力に劣る私が言うのだから間違いありません。

ただ,十分な時間と言うところがポイントで,
10年も20年もかけられるのであればじっくりと
力を付けられますが,子供達の時間は限られています。
だから,努力しないのは論外ですが,
努力してもダメと言った場合,
努力と能力の妥協点でやっていくしかないのが現実かもしれません。
そして,塾に通う事の意義は,能力の最大値を見つけ,
その妥協点をなるべく高くしていくことにあるのだと考えます。


2013年7月31日 (水)

権利について。

女子教育の必要性を訴え、昨年10月にイスラム武装勢力に頭を撃たれた
パキスタン
の少女、マララ・ユスフザイさん(16歳です‼)が712日、
国連本部で初めて演説し
ました。
マララさんは「我々は平和と教育の実現という目標に向かって歩み続ける」
と決意を述べ、国際社会にテロとの戦いや貧困の撲滅を訴えた
そうです
一方、
721日の参議院選挙は戦後の参議院選挙ワースト3位の52.61%
投票率でした。

少女の国連演説と、参議院選挙の投票率に何の関係があるのかと
思われそうですが、権利について考えさせられる出来事だと
思いました。

現在、私たちは様々な権利を有していますが、
日々の生活の中、その行使があたり前になり過ぎて、
先人たちの権利獲得への戦いや苦悩を忘れ、
権利の上にただあぐらをかいていないでしょうか。
このことに関して政治学者の
丸山眞男氏の著作の中から
次のような記述を見つけました。少し長いですが引用します。

『アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。
それに比べて自由を擁護することは困難である。
しかし自由を擁護することに比べて、
自由を市民が日々行使することはさらに困難である。」
といっております(中略)
私たちの社会が自由だ自由だといって、
自由であることを祝福している間に、
いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。
自由は置き物のようにそこにあるのでなく、
現実の行使によってだけ守られる、
いいかえれば日々自由になろうとすることによって、
はじめて自由でありうるということになるのです。
その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、
どうやら生活の惰性を好む者、
毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、
物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、
あるいはアームチェアから立ち上がるよりも
それに深々とよりかかっていたい気性の持主などにとっては、
はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう。』

私たちの子供に限って言えば、
日々の学習が教育を受ける権利にかかわっています。
現代社会においてさえ、先のパキスタンの少女のように、
その権利獲得のために命をかけなければならない地域もあるのです。
日々の生活で普通に、あたり前に学習できているということが、
いかに尊く、幸せなことであるのか、
今一度、認識する必要があるのではないでしょうか。
また、子供たちにも歴史教育の中で、
そのことをもっとしっかりと教えるべきではないでしょうか。

さらに、その学習にかかわる権利の意識が、
将来の選挙権という私たちの生活にかかわるとても大切な権利への
意識を高めていくのではとも考えます。
今回の参議院選挙で、権利の行使を怠った結果が
どんな困難を引き起こすか、これから大人の私たちが
注視していかなければならないと思います。
また、そのことを子供たちに伝えなければならないと思います。

話が少しそれましたが、子供たちが勉強を進めていく動機づけとして、
権利の獲得とその行使という視点からのアプローチも必要ではないかと考えます。

2013年6月 1日 (土)

努力は必ず実る!

梅雨空が続いていますが、6月下旬までの辛抱。
後は、夏真っ盛りと、青い輝く空が待っています。
いつまでも梅雨が続くわけではない。

四季のある温帯地域に暮らす
(まあ、沖縄では四季というより夏冬の二季といった方がいいのかもしれませんが・・・)
私たちには
「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」「人生万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」
という心象もすんなり受け入れられるのでしょう。

一方、乾燥帯地域や他の気候帯に暮らす人たちは、
1年中厳しい環境が続くので、天国か地獄かの二者択一の思想に
なるかもしれません。

しかし、変化し流れて行くのがこの世の常であるとの考えは
仏教だけのものでなく、真理であるように思います。
だから、希望を持ち続けて、待つことが大切なのでしょう。

ところで、勉強していて、なかなか結果が出ない事を悩む子供たちもいますが、
努力を継続すれば必ず結果が出るという事をわかってもらいたいと思っています。
努力が必ずしも実らないことも世の常ですが、
事、勉強に関しては努力は必ず実ります。
努力して、そして希望を持って待ち続けることが大切です。
ただ、のほほんと待つのでなく、
努力することがキーになることは言うまでもありません。
そうすれば、変化は世の常、必ず変わっていけるのです。

2012年7月21日 (土)

いじめ問題について。

いじめは無くならないと考えるのが、私の基本認識です。
人間の作る組織である限り、大なり小なりのいじめは必ず存在するだろう。
ただ、普通はいじめる側が矛先を変えたり、心境が変化したりして止む。
あるいは、いじめられる側の態度や気持ちが変化して止む。

問題なのは、万事言えることですが、一度タガがはずれてしまうと行動や思考が
エスカレートして歯止めが利かなくなることです。こうなると、周囲がどう対処しても
外部の強制力(場合によって暴力や国家権力)が介入しない限り、止めるのは
まず不可能。こうなった場合は、いじめられる側は逃げるしかないと考えます。

だから、いじめをなくすという理想は理想として大切ですが、もっと重要なのは
起こったときの対処法をしっかり研究するということではないでしょうか。
いじめる側のその親も含めた指導や、いじめられる側の逃げ場所の作り方、
その親の子への対応法などです。

どうやら、文科省はいじめの根絶を目指して、学校現場に指導をし、
その成果を評価することを行っているようですが、それでは、実情が
隠ぺいされても仕方がありません。

いじめは、社会で犯罪が無くならないのといっしょで、根絶は無理である。
この前提から、政策なり指導なりを考え直すべきではないでしょうか。

2012年6月 6日 (水)

自分の立ち位置を決めるということ。

小・中・高と勉強する目的の一つは、将来の自分の立ち位置を
決める材料を得るためと言えるのではないでしょうか。

「勉強バカ・専門バカになるよ」と、
一生懸命勉強することを否定的にとらえるのを、よく聞きます。

でも、あれだけ沢山の教科を学習するのだから「専門バカ」は
小・中・高の学習に関しては、当たらない考え方だと思います。

また、勉強することが否定的にとらえられる原因として
「勉強が目的になっている」ということがあるかもしれません。

勉強はあくまでも手段。しかも、自分の立ち位置を見つける
もっとも効率のよい手段だと思います。

だから、多少つらくとも、やはり大いに勉強はすべきですね。
そうマルのは思います。

2012年5月15日 (火)

今日は沖縄本土復帰40年。

大学に進学のため沖縄に来て30年。
その当時は、本土復帰10年でした。

この30年沖縄の町並みは、見違えるほど変わりました。
個人的には、昔の雑然とした感じが好きですが・・・。

しかし、やはり問題は米軍基地、それと治外法権的な
地位協定。30年前とちっとも変っていません。

思い出すのは、鹿児島から沖縄へ来る時、親戚に
「沖縄ではみんな英語で話すらしいよ」と本気で言われたこと。
日本人、沖縄人と差別的に、自分の周りの本土の人々が、
本当に普通の人々が、考えていたこと。

基地の現状を見れば、現在もあの頃とほとんど変わっていないように
思います。

ただ、本土の人だけが悪いのかというと、そうでもなく、
うちなーんちゅの大多数が、その日暮らしで、目の前の事だけにしか
関心を持たないのも原因の一つなのではと思います。
大らかでいいと言えばいいのかもしれませんが、
いろいろな運動も継続的なうねりにならない。

少なくとも、今の中高生が活躍する10年後には、
問題解決の道が大きく開かれればと願います。

2012年5月 2日 (水)

究極の幸せとは(?_?)

究極の幸せとは何でしょう

思うに,「万事が自分の思う通りに運ぶこと」ではないでしょうか。

いやいや,「誰かの愛を感じること」でしょう
という人もいるかもしれません。
しかし,考えてみてください。愛してもらうのも,
自分が愛してもらいたい人に愛されたいのです。
全く予期しない人からの愛は,場合によっては迷惑に感じるものです。

それでは,「万事が自分の思う通りに運ぶこと」はあるのでしょうか
答えは,Noです。そんなうまく行く訳がない。(;д;)
そこで,重要なのが「自分を変える」ということになるでしょう。

もう,どうしようもないという事態に陥ったときの話ですが,
状況や環境に合わせて自分を変えてみるのです。
そして状況・環境を,自分を変えることで自分の思う通りに運ぶようにする。

決して,周りに合わせて“おもねる”ということではありません。
要は,妥協し,迎合するのではなく,進まぬ状況等を
自分を変えるチャンスととらえるのです。

場合によっては,あれこれ手を尽くすのではなく,静観するのも
自分を変えることになるのではないでしょうか。
事態の推移を決してあきらめる事無く,じっと見守る。
じっと静観などというのは,なかなかできない事ですが,
その内,環境や自分の心のスイッチが切り替わり,
その結果,自分の思い通りに事が運ぶ。こんなこともあると思います。

究極の幸せとは,それを得るための,絶え間ない自己変革の
中にあるのかもしれません。

2012年3月24日 (土)

何故か足が向かないなぁ!

今日から「沖縄国際映画祭」とのこと。

そう言えば,学生の頃はよく映画をみにいったなぁ

でも,

沖縄で開催される映画祭だから,
ちょっとのぞきに行こうかな・・・

とは思わないんだよな。

なんだか,吉本興業の文字通り興業になっているような…(^-^;

ところで,映画は,英語の勉強には手っ取り早い教材ですよね。

DVDで字幕なしで見ていると,何回か見た映画なら,
なんとなく聞き取れるようになるから不思議です。
表情やスチュエーションで判断できるからでしょうね。

気に入ったセリフは,英語の字幕に切り替え
英文を書き出して覚えると最強ですね。

ただし,これは使わない方が・・・,という表現もあるので要注意

そうそう,映画祭のオープンエアスクリーン上映,28日の
“ショーシャンクの空に”はなかなか面白い映画です。
まだ見たことがないと言う人には,お勧めですよ。

2010年6月20日 (日)

今日から始めます。

今日から,マルの塾ブログを開始します。

マルの塾は,ほんとにほんとに,小さな学習塾。

塾長(私)は,何の取り柄もない,ただの中年おじさん

それでも,精一杯,塾生とともに学び,泣き,笑い,

そんな日々を書き連ね,

少しは,受験生や勉強に悩んでいる人の一助になればと,

考えています。

よろしくお願いします