フォト

他のアカウント

モーションウィジェット

  • モーションウィジット
無料ブログはココログ

« 2013年7月 | トップページ | 2015年6月 »

2013年9月

2013年9月30日 (月)

わたくしという現象は・・・

「わたくしといふ現象は

 仮定された有機交流電燈の

 ひとつの青い照明です

  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

 風景やみんなといっしょに

 せはしくせはしく明滅しながら

 いかにもたしかにともりつづける

 因果交流電燈の

 ひとつの青い照明です

  (ひかりはたもち その電燈は失われ)」

 宮沢賢治「春と修羅」の「序」の一節です。
宮沢賢治の生きていた時代(明治~昭和初期)に神経伝達の仕組みが
どの程度一般に知られていたのかわかりませんが,
無数のニューロン(神経細胞)の中をナトリウムイオンやカリウムイオン,
塩素イオン等の荷電粒子がどーっと流れ,
もしそれを発光ダイオードを無数に配置することで表現できたら,
賢治のいう因果交流電燈の青い照明の明滅を
見ることができるかもしれません。
とても優れた比喩のように思います。

人間の活動と言っても,脳による認識を第一に考えるならば,
結局,ニューロンの中の電気信号の移動に過ぎず,
行為そのものは外部にあるいは記憶に残っても,
その因たる電気信号は一瞬に消えていくのです。
(ひかりはたもち その電燈は失われ)

 話は変わりますが,長年,子供たちの学習の手助けをする仕事をしていると,
個々の生まれ持った能力の差(能力の多様性と言った方がいいかもしれません)
は厳然とあることを感じます。
東大や京大のようないわゆるエリート大学へ進学した子供たちにも
接したことがありますが,学力というかいわゆる頭の良さは
天性のものを感じました。
一生懸命努力をしなくても
(本人は死ぬほど努力したと言うかもしれませんんが)
大学入試という壁をいとも軽々と飛び越える。
勉強ができない子供との差を目の当たりにし,
愕然とすることもしばしばでした。

 

 ところで,天性の能力は遺伝で決まる訳ですが,
この天からのギフトが人間の全てでないことも確かです。
先の脳の仕組みに関連しますが,
この器官は可塑性が非常に高いのだそうです。
可塑性の意味は原義とは少し違うかもしれませんが
「変わることのできる潜在的な能力」と言うことができる
と思います。
遺伝的な能力に差があっても,訓練や努力によって
差を縮めることができるのです。
そして,高校や大学の入試レベルの勉強なら,
誰でも十分な時間と努力で突破できる。
天性の能力に劣る私が言うのだから間違いありません。

ただ,十分な時間と言うところがポイントで,
10年も20年もかけられるのであればじっくりと
力を付けられますが,子供達の時間は限られています。
だから,努力しないのは論外ですが,
努力してもダメと言った場合,
努力と能力の妥協点でやっていくしかないのが現実かもしれません。
そして,塾に通う事の意義は,能力の最大値を見つけ,
その妥協点をなるべく高くしていくことにあるのだと考えます。


2013年9月 1日 (日)

全国学力テストの結果について。

今年も全国学力テストの沖縄県最下位が決定しました。
職業柄、毎年悔しい思いがします。
色々な分析が新聞の関連紙面に載っていましたが、
県内の公立高校入試での平均点の低下傾向をみるにつけ、
究極、学習面に対する意識の低さが現れた結果だと思います。

子供たちは勿論ですが、親の私達が子供達の学習やその実行・成果に、
本当に関心を向けているか、今一度振り返る必要があると思います。

成績の順位付けについてはその絶対視の弊害等で賛否両論ある
と思いますが、やはり全国で何番だったとか、学校で何番だった
とかの情報は、成果を振り返り自己認識するきっかけになります。

それで、これじゃいけないと認識したらどうするか。
勿論、結果を分析し行動を起こすべきなのでしょうが、
子供たちの成績に関しては当事者ではないのでなかなか難しい。

そこで親の私たちにできることは、環境を整えてあげることではないでしょうか。
勉強しなさいと言葉でいうのは簡単ですが、
言っただけではあまり効果はない。
結局、仕事の押しつけと同等に感じられてしまい
反発を受けるだけです。
大切なのは、一緒に成績を上げていこうという
親子の一体感を育てることです。
例えば、子供の学習時間を決めて、
その時間は親も読書等で一緒に学習する。

ええっ!!親は仕事で忙しいし、親には親の都合もあるゾ。
仕事の疲れをとるためにビールの1
杯でも欲しいし、
そんな貴重な時間を子供と一緒の勉強時間にあてるだなんて・・・。
確かにそうですが、ここです。
おそらくここの考え方の差が大きいと思います。
何かを得ようとすれば何かを犠牲にしなければならない
(漫画「鋼の錬金術師」のテーマ)
のです。
しかし、子供の学習意識の向上は決して、
一を得るために一を犠牲にする等価交換ではありません。
一の犠牲が十、百の成果を生みます。
子供の教育とはそんなものではないでしょうか。

今、挙げたのは一つの例ですが、
子供たちの学習環境を整えるとなると、
それぞれの家庭の都合によっては、おそらく、
時間的にも経済的にも何らかの犠牲が伴うでしょう。
しかし、その犠牲の引き受けを単なる無駄と考えるか、
将来への投資と考えるか、
おそらくその考え方の違いが、
全国学力テストの結果の違いなのかもしれませんし、
沖縄の将来を考えたとき、
もう少し大人が発展的な意味で犠牲になることがあっても
いいのではないでしょうか。

 

【追記】 なんだか、上から目線の文章になってしまいましたが、
沖縄は子供の数は多いけれど、全体、大人中心の社会で、
子供たちへの視線や視点が足りないのではと日頃感じているのは確かです。
これに関しては、塾の掲示板、メール等で御意見を
お聞かせいただければと思います。

« 2013年7月 | トップページ | 2015年6月 »