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2013年7月

2013年7月31日 (水)

権利について。

女子教育の必要性を訴え、昨年10月にイスラム武装勢力に頭を撃たれた
パキスタン
の少女、マララ・ユスフザイさん(16歳です‼)が712日、
国連本部で初めて演説し
ました。
マララさんは「我々は平和と教育の実現という目標に向かって歩み続ける」
と決意を述べ、国際社会にテロとの戦いや貧困の撲滅を訴えた
そうです
一方、
721日の参議院選挙は戦後の参議院選挙ワースト3位の52.61%
投票率でした。

少女の国連演説と、参議院選挙の投票率に何の関係があるのかと
思われそうですが、権利について考えさせられる出来事だと
思いました。

現在、私たちは様々な権利を有していますが、
日々の生活の中、その行使があたり前になり過ぎて、
先人たちの権利獲得への戦いや苦悩を忘れ、
権利の上にただあぐらをかいていないでしょうか。
このことに関して政治学者の
丸山眞男氏の著作の中から
次のような記述を見つけました。少し長いですが引用します。

『アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。
それに比べて自由を擁護することは困難である。
しかし自由を擁護することに比べて、
自由を市民が日々行使することはさらに困難である。」
といっております(中略)
私たちの社会が自由だ自由だといって、
自由であることを祝福している間に、
いつの間にかその自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。
自由は置き物のようにそこにあるのでなく、
現実の行使によってだけ守られる、
いいかえれば日々自由になろうとすることによって、
はじめて自由でありうるということになるのです。
その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、
どうやら生活の惰性を好む者、
毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、
物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、
あるいはアームチェアから立ち上がるよりも
それに深々とよりかかっていたい気性の持主などにとっては、
はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう。』

私たちの子供に限って言えば、
日々の学習が教育を受ける権利にかかわっています。
現代社会においてさえ、先のパキスタンの少女のように、
その権利獲得のために命をかけなければならない地域もあるのです。
日々の生活で普通に、あたり前に学習できているということが、
いかに尊く、幸せなことであるのか、
今一度、認識する必要があるのではないでしょうか。
また、子供たちにも歴史教育の中で、
そのことをもっとしっかりと教えるべきではないでしょうか。

さらに、その学習にかかわる権利の意識が、
将来の選挙権という私たちの生活にかかわるとても大切な権利への
意識を高めていくのではとも考えます。
今回の参議院選挙で、権利の行使を怠った結果が
どんな困難を引き起こすか、これから大人の私たちが
注視していかなければならないと思います。
また、そのことを子供たちに伝えなければならないと思います。

話が少しそれましたが、子供たちが勉強を進めていく動機づけとして、
権利の獲得とその行使という視点からのアプローチも必要ではないかと考えます。

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